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《自社発電所》徳島堰太陽光発電所

韮崎市の田んぼに9.4kWの発電設備を設置予定

韮崎市旭町に29aの農地を取得しました。この田んぼの上流には徳島堰があり、その水を引いています。その田んぼの法面に9.4kWの太陽光発電設備を設置します。3相動力として発電しポンプを2台設置する予定です。田んぼへ引水を自動化する予定です。そしてその余剰電力を売電します。

徳島堰(とくしませぎ)の特徴

徳島堰太陽光発電所
徳島堰(とくしませぎ)は、山梨県韮崎市と南アルプス市を結ぶ農業用水路。延長は17km。江戸深川の商人・徳島兵左衛門俊正は、身延山に参詣した際に釜無川右岸(現在の堰の流路一帯)を通り、水が乏しいために広い土地が荒地となっている事を知った。このため堰の開削を計画し、寛文4年(1664年)に甲府藩主・徳川綱重の許可を得ると翌年に現・韮崎市円野(まるの)町、上円井(かみつぶらい)で着工した。釜無川と小武川の合流点の下流に石を積み、粗朶に筵を張ることで水を堰止め、ここを取水口とした。流路は等高線に沿うようにし、堰の大きさは上3間(約5.4m)・敷1間半(約2.7m)で、天井川の部分は埋樋で暗渠としている。傾斜地を通るため、右岸を削った土砂を左岸に盛土して石積みなどで護岸が行なわれた。また、途中にある円井型石英閃緑岩の岩盤層が障害となった。御勅使川と交差する暗渠は最も難工事となり、一辺が1.8mほどの板320枚を牛枠で支えた板枠を用いて施工した。当初は武川西郡新田堰と呼ばれたが、戸田周防守は徳島俊正の功を賞し、徳島堰と名付けた。

徳島堰太陽光発電所

1965年(昭和40年)に釜無川右岸土地改良事業が行なわれた際、旧取入口の下流に近代的な頭首工を設けて、東京電力釜無川第三発電所の放水および釜無川の水を取入れるようになった。さらに、堰をコンクリートでかため、有野に畑地灌漑調整池を設けてこの水を取入れる工事が国営・県営・団体営によって進められ、1973年(昭和48年)に完成した。これによって、川の導水管を通じて遠隔操作で末端のスプリンクラーに水が送られるシステムが構築され、灌水面積が1700ヘクタール以上に及ぶ果樹園地帯が開発された。